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 健康と幸せ

「脳力開発」 第3章 教育の重要性

 我々一人一人が、常に「なぜ?」「これを、こうするのは、何故なんだ?」という本質的な問題意識を持って、生きる姿勢が重要な時代となっていると言えます。

 本来「学問」というのは、ふっと思い浮かんだ「疑問」や「問題」を、とことん解明し追求し解決する行為・・・・・・つまりは、とことん「考える行為」であったはずです。
 その方法や、その問題解決の為の基礎知識を学ぶ場であったのが「学校」のはずです。
 そう言う意味では、これからは「学校」というもののあり方が、本質的に問われる時代でもあると思うし、「先生」と呼ばれる人の資質についても、本質的に問われる時代でもあると思います。

コラムニスト:高田雅夫
高田雅夫 1954年生まれ。大学卒業後1年のサラリーマン生活をしただけで無謀にも脱サラして以来「仕事、仕事、仕事の仕事人間」で過ごしてきた結果・・・・・バーンアウトして50歳でリタイヤ生活に入る。

 先日も我々の仲間内での会話ではありますが、「学校」という特殊環境の中しか知らないで何十年も「答え」だけを教えている先生というもの実態、また、本来聖職であるべきはずの先生がサラリーマン化してしまっている実態を思えば、期待する方がむしろ無理なことは明白だともお思います。
 「テストで点数をとる方法」を教えている学校というのは、ある意味では「最も、考えない人種」を大量生産している一つかも知れないですね。

人間には、人それぞれの固有の「想像力」というものが、生まれながらに備わっています。
その「想像力」というのは、人間にとって最も大事な「創造力」の基礎となるものです。
これは、人間が持っている「無限の可能性」に繋がるものです。

 学問というのは・・・・・・人それぞれが「何かに・・・」疑問を持ち、それを、とことん納得いくまで考えてゆくものが「学問」であると私は昔昔に、習ったものです。
この何かに疑問を持つ姿勢こそが、もっとも大事なことなんだということは、非常に子供心に新鮮で魅力的で、ワクワクした思いが50才になった今も私の中に確固としてあります。
ただし、これを言ってくれたのは、学校の先生ではありません。
市井の「タダの、近所の博学な・・・・・・・おっちゃんです。」

 そして、「何かに・・・」疑問を持つこと・・・・・それは人間として極めて自然な行為だと思っています。思い出せば、子供の頃というのは、毎日が・・・・・そんな疑問だらけでした。
 「なんで、地球が動いていると言うことが、解ったのか?」
「なんで、太陽が動いている事が正しいとされていた時代に出来た『暦』なのに、1年が365日+αということが解ったのだろうか?」
「なんで、空は海は青い色をしているのか? では、水たまりや池は何で、青くならないのか?」
「なんで、冷たい水が重いと習ったのに、一番上から氷が張るのか?」
「なんで、空には星が無数にあるのに、北極星だけが動かないということが解ったのか?」
「なんで、ピカソの絵が絶賛されているのか?」
「なんで、高い山に登って太陽に近づくのに、気温が下がるのか?」
「何で、魚等は水の中でも呼吸できるのに、人間は出来ないのか?」
「なんで、給食は残さず全部食べないといけないのか?」

 以上の『『素朴な疑問』は実は私自身が小学生時代に抱いたものです。
その後、中学生になった頃までには疑問は自分で調べて納得できました。
でも当時の、私が出会った先生達は満足するような、また、私の向学心を刺激するような回答は誰も出来なっかったという記憶があります。
「なんで、先生は偉いのか?」
という素朴な疑問だけが私の中に残りました。

 以上のように・・・・・・・・・私の印象では、学校の先生ほど、この「想像力」や「創造力」「感受性」に乏しい集団は無いのではないか・・・・と愕然とする思いにかられる場面に過去において随所で出会い、そして思ったことがあります。
無理もないのかも知れないですが、それは・・・・・・・必ず「答え」のある世界で、居すぎるためだと思っています。
ある意味では、可愛そうで、不自由な世界しか知らないのだと思います。
「学校」を卒業して「学校」に就職して、そこで一生を過ごすのですから「学校」の中しか知らない人々のなのですからある意味・・・・・・世間知らずの井の中のカエルです。

 たとえばの話ですが、我々の育った一般社会ではただの「新入社員」なのに、ここでは「先生」と尊称されるのですからおかしくなるもの無理は無いとも思います。
そして「答え」が全部にあることを「知識として教えている」。

 これでは、先生に、卓越した「想像力」とか「創造力」というものが身に付くとは思えない。
また学生時代を思い起こせば、『創造力』とか『想像力』に縁の無かった人間が学校の教師という職に就いているように感じるのは私の周囲だけだろうか?
「子供が好き」「教えることが好き」というのも、大事な動機だと思いますが、ただそれだけで先生という資質が満たされているとは思えないのです。

 だから、「想像力」とか「創造力」、「感受性」とかいう、成績の判定のしにくいものを学校の場から、叫んでいる言葉とは裏腹に、結果として排除しているように思います。
また、事件後決まって繰り返されることですが、教室内での「いじめ」にも先生が気が付かないケースがなんと多いのでしょう。
 一般企業でも40人前後の部下を持っている立場の人は大勢います。
その中で、自殺者が出るほどの「いじめ」に気が付かないような、鈍い管理責任者であれば、すぐに更迭されるでしょう。

 元来、この国の教育というもの自体が、国家への義務として成立してしまったという悲しい過去があります。明治国家にとっては、富国強兵、殖産興業の一環というか基礎として、学校制度を設けて、義務教育と称して、国家や社会に役立つ人間の大量生産する工程として、国民全部に教育を受ける義務を課した。
 その過去を学校の先生は語らないで、「国民は等しく教育を受ける権利があります。」と言葉をすり替えて、義務教育を語っている。

 だから、学校の規則や授業についていけない生徒というのは、「ダメ人間」のレッテルを貼られてしまうという風潮が出来上がってしまった。
その「レッテル」を張る権利は「先生」が一方的に持っている。

 誰も意図的にはレッテルは貼っては居ないのだが、そのレッテルを知らず知らずに疑問も抱かずに受け入れてしまって育った人間が社会を構成し、その中の一部が先生になっている。
 意図的に押しつけられたものというのは、解りやすいし、また反抗もしやすいし、しかし、知らず知らずにココロに染み込んできた価値観というのは、やっかいで、底意地悪いものだと思います。
 そして、その底意地悪い価値観から、低い評価を受けた人間というのは、再起不能なほどの傷をココロに負うものです。
 だから「過去において、学校での優等生であった人が先生になった場合には、そんな生徒の心の痛みには気づく事も、理解する事も出来ないでいるから、問題なのだと思いますね。と言うか、ある意味でここに生徒と先生の悲劇が有るようにも思いますね。

 人間の脳の中には「理性」と「感性」を司る部位が各々あります。
そして「脳」というのも、肉体の一部ですから、鍛えれば強くなり、より活発に働くようになりますが・・・・・
逆に使わないと、衰え、退化してしまうという極めて原則的な存在です。

 我々が提案する「脳力開発」(ブレイン・トレーニング)は、脳の活性をテーマとして、人間の素晴らしい能力であるところの「創造力」や「想像力」また「感性」の開発が目的です。
それらの能力は、皆、脳が司っています。
それは人間だけが持っている、自分のやりたいこと、自分の夢を実現する能力の開発でもあります。

★同じ程度の能力なのに、一方は成績優秀、他方は鳴かず飛ばずという人がいます。
★容姿は、たいしたことないのに、非常に異性にモテる人がいます。方やモテないひとがいます。
★同じような状況なのに片や「実行できる人」がいます。他方「実行できない人」がいます。
★同じテーマを与えても、一方素晴らしい発想で誰もが考えつかないようなアイディアを出す人がいます。他方でまったく平凡なアイディアしか生まれない人がいます。
★同じような状況なのに、一方は「やってみよう!!」と思う人がいます。でも他方で「自分には出来ない」とやる前から諦める人がいます。
★同じ用事を言いつけても、にっこり笑って「ハイ!」と返事をして喜んで実行に移す人が居ます。でも、他方で「は〜い。」とイヤイヤ返事をしてしまうひとがいます。
★同じように褒めても・・・・「ありがとうございました。」と爽やかに喜ぶ人と、「ありがとうございました。」という言葉だけを言う人がいます。
★同じように叱っても・・・・・「すみませんでした。」ときっぱり謝る人と、「すみませんでした。」が言えず、なにかと「言い訳」する人がいます。
★言われなくても出来る人間と、言っても出来ない人間とがいます。
★「やろう!!」と思ったら、すぐに、実行に移す人がいます。他方、「明日から・・・・」って一日延ばしにする人が居ます。
★同じプランで同じような能力なのに「自分の願い」を実現できる人と、「自分の願い」が実現できない人が居ます。
★一方で「幸せな生活」をエンジョイしている人がいます。他方で「不幸な生活」で苦しんでいる人がいます。
★周囲の人間と楽しく生きている人がいます。周囲の人とのトラブルで苦しんでいる人がいます。

 その「差」こそが「脳力差」なのです。
「脳力差」があるから「能力」は同じでも、考えや行動に差が生まれるのです。
考えや行動が、変われば、結果は自ずと変わります。
「温かい想像力」と「温かい創造力」そして「温かい感受性」を身につけた時には、人は変わります。

 「考える力」を根幹とした「想像力」「創造力」「感受性」というのは、訓練次第でいくらでもアップします。何故ならば、「考える力」というのは、脳の中の「前頭前野」にあります。
この部位というのは、一番新しい脳でして、訓練さえすれば誰でも鍛えられる部位にあるからです。
これらの能力というのは「問題発見能力」と「問題解決能力」として発揮されます。

これからの日本社会で最も必要とされる2大能力です。

 これからの時代は「お手本のない時代」です。
「答え」はおろか「問題」さえ用意されていない時代です。
ですから自ら、現象にとらわれずに、根本的な問題を発見でき、回答を導き出し、そして実行・実現する能力の有無と質が問われる時代です。

あたかも、クイズ番組に勝てるような、表面的な知識の詰め込みは意味のない時代となりました。

 これからの時代というのが、本当に「実力主義」の時代になるのであれば、我々が提案する「温かい想像力」や「温かい創造力」そして「温かい感受性」というものが、いかに人が幸せに生きてゆく上で重用かはお分かり頂けると信じます。


(文責:高田雅夫)

「脳力開発」 第2章 脳の生活習慣病
「脳力開発」 第4章 脳力開発すれば・・・


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